アラフォーの私の周りでも、癌がみつかったという話が、すごく多くなってきました。

 

早期発見が可能になった医療の技術や、芸能人が癌の闘病記をブログに綴ることが増えていたりと、社会的な流れも変わってきているかと思うのですが、、、

 

私自身はがん患者ではありませんが、子宮筋腫も、体内の老廃物を外に出す力が弱まった結果、と考えると、癌闘病についての経験も、また、学びになると思っています。

 

ここでは、私自身の身内の体験記をいくつか備忘録しておきます。闘病本人ではないことで、客観的にもなりますし、本人以上に覚えていることも多いかと思うので、どうかこの経験が、誰かのお役に立てますようにと、願いを込めて。

 

 

癌との出会い

 

 

私にとって、癌は20歳の頃に付き合っていた彼が胃がんを患って29歳で他界した経験や、私が22歳の頃、母は52歳で子宮頸がんになったこと、

私が28歳の頃、父が59歳で胃がんになったこと、

私が36歳の頃、大親友が33歳で甲状腺がんになったこと、

 

彼の胃がんがわかったときは、その重みが理解できず、彼のほうから距離を置きたいとお願いされて、言われるままに距離を置いてしまったので、その後の詳細な闘病についてはわからないのですが、

 

母と父のことについては、きちんと向き合ったので、その体験談を少し書かせていただきますね。

 

 

 

母の子宮頸がん

 

結論から言いますと、母は現在71歳、特に不調もなく、元気いっぱいに過ごしております。彼女は、ある理由から「抗がん剤を受けなかった」ことで、病気を克服したタイプです。

 

 

母52歳のときです。

 

もともと、閉経前だったために、女性ホルモンの薬投与を受けており、出血が多くなったとか、お腹が妊婦さんみたいにぽっこりと出てきたことも、「お医者さんに通っていて何も言われていないから」という理由で、あまり気にも留めていなかった様子。

 

お医者さんからも「閉経期の症状」と聞かされていたため、放置していたら、ある時、大出血を起こし、そのまま救急車で別の病院に運ばれました。

 

そこで告げられたのは、子宮頸がんステージ4(末期)で、お腹には大量の腹水が溜まっています。

 

腹水が溜まるということは、リンパにももちろん転移をしてしまっている状態なので、余命は数か月です、と言われました。

 

すぐに手術が行われ、子宮、卵巣、全て取り除かれました。手術室では10リットルもの腹水が床に流れてしまったそうです。

 

1週間ほどの入院で、その後は抗がん剤治療を、ということで、帰宅しました。入院中にも抗がん剤治療が行われ、1クール程は行ったそうですが、その時の女医さんが厳しい口調の方だったことと、治療費がかかることで父に迷惑をかけることへの罪悪感、もちろん、ホルモン変化が一番の原因かと思うのですが、ここからまさかの、、、

 

 

鬱、引きこもり、4年間

 

 

家族にとって、まさに魔の5年間でした。

 

そう、母が抗がん剤治療を受けなかったのは、強い意志とかではなく、精神的に病んでしまって、外に出られなかったからなのです。

 

 

こうなると、家族はどうしようにもできず、私自身も20代の前半は仕事も楽しく、自分の生活を守ることも大切だと思っていたので、積極的に何かをしようと考えも及ばず、父に負担をかけつつも、この暗黒な時代を過ごしました。

 

1週間に一度は実家に戻って、花を一輪お土産にしてましたが、目はうつろ、夕飯はかろうじて出てくるが、お味噌汁とご飯のみ。たまに目玉焼き付き。

 

父とは時間を作って外食をしたりしていましたが、総菜を買ってくることも増えたと聞いて、3年目くらいには離婚の文字が何度も出てきていました。

 

娘として、仕方ないかなぁとも思ったり。複雑でした。

 

 

その時は突然に

 

4年目に突入したころ、父から突然電話がかかってきました。

 

「昨日から母が布団からでてこない。様子を見てきて欲しい」と。父も疲弊しきっていたので、現実を直視したくない様子でした。

 

慌てて家に戻り、母の様子をみてみると、目の焦点があわない。言葉も呂律がまわっていなくて、それでも頑なに外に出たくない、救急車は嫌だとのこと。

 

ひとまず私も実家に泊り、早朝にタクシーを予約して、すぐに手術を受けたときの病院へ行きました。案内所で症状を伝えると、耳鼻科に連れていかれました。

 

原因は、家を掃除していなくて、耳の奥にばい菌が入り、炎症を起こしているということでした。検査入院は必要だという先生の話だったのですが、母を待合室に戻して、先生にこう伝えました。

 

「実は4年前にここで子宮頸がんの手術を受けています。そこから引きこもりになってしまって、一度も病院にかかっていません。もちろん抗がん剤も受けていません。このタイミングで、腫瘍マーカーも含めて、検査をお願いできませんか?できればそのまま精神科も紹介してほしいです」と。

 

先生は快諾してくださって、検査結果は、腫瘍マーカー正常値。治ってますねって。

 

 

まじかー(´▽`)

 

 

その後、母は病院の先生や看護師さんが優しく接してくださっていることに、どこか自信を取り戻したかのようで、私に一冊の通帳を出し、「ここに1万円ほど入っていると思うから、看護師さん達にお菓子を買ってきて欲しい」とのこと。

 

病院のATMに行って通帳記入したら、55万円ほどの残高があったので、何気なしに母にそれを伝えたら、

 

 

一瞬の出来事でしたが、私は忘れもしません。

 

「生命力のスイッチが入った!!!」

 

目がぱぁっと輝いたんですね。

 

 

鬱になった原因は、様々なのですが、その要因の一つに、お金の心配というものがあったようで、何をするにもお金がいるのに、働けない自分はダメ人間、と思い込んでいたそうです。

 

それが、思った以上にお金を持っていたことに、興奮したのでしょう。そこからの回復劇は、家族がドンびくほどでした。

 

 

退院後、まずすっかり変わった100均で、掃除用品や日用品を8000円分ほど購入。(後で聞くと、金持ちになった気分が味わえて楽しかったそうです)

 

父に迷惑をかけたからと、スーパーで1万円分の食材を購入し、とても豪華な夕飯を作ってくれました。

 

本人の変わりように、家族がついていけず、躁鬱の「躁状態」ではないか、また反動で「鬱状態」が訪れるのではないかと、どぎまぎしておりましたが、その後は病気以前よりパワーアップした母が、今も元気に過ごしているのでした。

 

 

 

母が抗がん剤を受けずとも、回復している理由は、本当に様々かと思うのです。

 

一般的に言われる自然療法での食事療法とは無縁のような、ご飯とお味噌汁の日々。いや、逆に、粗食中の粗食が良かったのか?

 

ストレスについても、感情をシャットダウンさせている状態なので、スリープ状態と言いますか、無感情が逆にストレスから身体を守っていたのかもしれません。

 

起きていても、寝ているような、、、これで今までの睡眠負債を解消していたのか?

 

 

 

 

 

樹木希林さんも全身癌でしたが、抗がん剤は意思をもって拒否をされていたとか。どこまで長生きしたら「正解」なのかはわかりませんが、抗がん剤をほとんど受けずに完治した例として、こんなお話も頭の片隅に置かれていただければと思います。

 

 

▲もっと早くに出会っていたかった、と思わせてくれる一冊です。感情的ではない、淡々と癌に取り組まれている姿に勇気をもらいます。